校長の紹介

校長プロフィール

佐藤 美優希
校長

氏名佐藤 美優希
生年月日1982年11月29日生
出身宮城県仙台市
血液型O型
好きなアーティスト小田和正
宇多田ヒカル
好きな歌生まれ来る子供ちのために(オフコース)
HANABI(Mr.Children)
尊敬している人小林武史(ap bank)
好きな野球選手大谷翔平(ロサンゼルスドジャース)
今の夢3時のヒロイン
子どもたちへ一言⚾やっちゃえBASE BALL⚾

19歳で第一子(長男)を授かり長男が1歳の時に離婚。

シングルマザーとなる。

その後新たなパートナーと出逢い2013年に次男を出産、2017年には長女を出産。

長男においては、沢山の方々の支援や応援を味方になんとか成人まで育て上げる。

現在はパワーアップした魂で再び育児に奮闘する中、自ら産み出した3児のヒロインになる覚悟を持ち

2022年2月20日

宮城県仙台市に創設された母子サポート活動を行う当法人の親団体STAR SEED TOUHOKUの副代表を務める。

自らの育児経験を活かしパワフルに活動しながら御世話になった方々へ感謝の気持ちを発信している。

また自身の子育てで経験した数多くの失敗をプラスの力に転換し、現在の自身の子育てに活かすこと、また昔の自分と同じような悩みや問題を抱える母子に知恵とパワーを与え自身を取り巻く《あらゆるお互いの心を癒すこと》を目的に2024年4月24日、一般社団法人WandeRerの代表理事に就任、同時に法人が運営する星の楽校の校長となる。

校長御挨拶

星の楽校のHPを御覧になって下さった皆様

初めまして、校長の佐藤 美優希と申します。

私は幼少期に両親が離れ、シングルマザーの家庭で祖母に育ててもらい、自分自身も19歳で第一子を授かりましたが20歳で離婚しシングルマザーとなりました。

今現在は新たなパートナーとの間に二人の子どもを授かり育児に奮闘しております。

子どもたちの教育の現場で働いた経験もなく産まれ育った環境も決して良いとは言えない私が何故校長という立場でこのような活動をさせて頂いくことになったのか?

御挨拶としてはかなり長くなりますので箇条書きにし順を踏んでお伝えさせて頂きます。

①私の産まれ育った環境

私は2歳の時から父親が家に居らず母は仕事に追われる日々で父方の祖母に育てられました。

幼少期はその環境が当たり前でしたので当然自分の家庭環境に対して特別な疑問を抱くことはなかったのですが成長していく中でどこか心細さや寂しさを感じていたこと、友達の家庭を羨む心があったことを今でも鮮明に覚えております。

祖母が母親変りとなり精一杯私を育ててくれましたが

大人(親)の事情で十分な愛情を両親から注がれなかった私は、いつからか自分の感情に蓋をするようになり自分の本音とは裏腹な生き方をするようになっていきました。

小学生の時はヤワラらちゃん(谷亮子さん)に憧れ「柔道をやって強くなりたいっ!!」と思い母親に伝えたのですが家庭の事情で受け入れらることはなく、すぐに諦めてしまった記憶もあります。

それ以降は自分のやりたいことを両親へ口にすることもなくなってしまい、子どもながらにただ目先の〈簡単に手に入る楽しいこと〉で現実逃避をし先のことは一切考えず何とか子ども時代を生き抜いていたように感じます。

私自身が望む理想の家庭とはかけ離れた環境でしたので人様に誇れるようなことはありませんが

今となれば精一杯の愛情と沢山の学びを与えてくれた家族ですのでやはり《大事にしたい》と思う気持ちはどこか根強く刻まれています。

私はこのように歪な形をした家庭環境で祖母、母の精一杯の愛情の下で育ちました。

②初めての出産と育児

私の母は高齢出産でした。

浅はかではありますがその母のもとで育った私は子どもの頃から〈若い母親になること〉への憧れが強く19歳で長男を授かり出産。 

産まれ育った家族に男性が居なかったこともあり男性を見極める力が乏しく、安心して育児をできる環境が整えられなかった為、長男が1歳の時に自分と子どもを守る為に離婚。

初めての出産、初めての育児、シングルマザー…

「何とかなるっ!」、「何とかするっ!!」と覚悟して進んだものの、そこから先は想像を遥かに越える壮絶な現実という試練が待っておりました。

実家の協力も最低限しか得られず、孤独感、劣等感、プレッシャーに押し潰され自分の思うように愛情を注げませんでした。

勿論長男との楽しい思い出も沢山あるのですが自分の寂しい心を埋めることでいっぱいっばいで長男には寂しい思いをさせることが多くなってしまいました。

私の初めての出産と育児は殆んどが失敗の連続でした。

③長男、学校へ行かなくなる…

長男が4年生の時、学校に行かなくなりました。

当時私は自分の母と同様、仕事と自分の寂しい心を埋める毎日に追われ育児が疎かになり長男に寄り添う余裕が殆どありませんでした。

正直、学校へ行かないことも「別に嫌ならいかなくてもいいのでは?」と安易に考え長男にもその様に伝えておりましたし事の重大さに気づけておりませんでした。

しかしそこから長男の問題行動が多くなったり、笑顔が減ったり、学校に行かないことで育児の負担がそれまで以上に増え、私の心は家族以外の助けを求める状態にまで追い込まれてしまいました。

とは言えこの重圧を家族以外で受け入れてくれる人…相談できる人…

当然のことながら中々おらず私自身も「Help me !!」を全面的に出せるタイプではありませんので勇気がなく独りでもがき苦しみました。

気がつけば長男が学校に行かなくなってから半年以上もの間その苦しみが続いてしまったのですが、もがき続けた果てにとある人物が脳裏に浮かびました。

「この人ならなんか気楽に頼れるぅ(* ̄∇ ̄)ノ」と思いその後、私はその方を頼りその方の子どもを二人出産して今に至ります。

長男はその後も色々ありましたが沢山の人たちの力添えを頂き何とか学校に行けるようになり、素晴らしい友達に恵まれて社会で生きていく人間力を身につけることができました。

④野球と音楽

本人が望んで始めたわけではありませんが私の長男は不登校を克服する為に野球というスポーツが用意され中学三年生まで続けました。

長男と歩んできた道を冷静に振り返ると人様の力だけでなく野球の持つ力に心身を鍛えてもらい立ち直らせてもらうことができたように感じる部分があります。

今現在は次男、長女が親団体STAR SEED TOUHOKUで 沢山の有志者に囲まれながら野球と音楽を中心に沢山の貴重な経験をさせて頂いております。

私自身、音楽は生まれつき聴いたり歌ったりするのが好きなのでずっと身近な存在ではありましたが、今となれば自分の人生とは無縁だった野球もいつの間にか自分の人生に必要な力となっております。

私自身が家族を通して知ることのできた野球と音楽の持つ力と魅力を沢山の人たちに校長として伝えていけたらと思います。

⑤母として受けた恩恵

~守る愛と導く愛~

私が長男の育児で母として受けられた恩恵は

自らの育児《失敗談》を恥じらうことなく教えてくれた、先輩お母さんと出逢えたことでした。

成功談や美談は情報としていくらでも耳にできる時代になりましたが、私と長男が最悪な状況に陥ることから守ってくれたのは意識が向きがちな成功談ではなく、この先輩お母さんから教わった数々の《失敗談》でした。

また、不登校を克服し中学校で巡り会えた男性の先生からは、先生と生徒の枠を越え男性ならではの情熱を注いで頂き、チャレンジすることの大切さと長男の良さが引き立つように導いて頂きました。

他者に助けられながら育児をすることで「親として独りでなんとかしなければいけない」という固定概念から解放され、学べたことは愛情には《導く愛と守る愛》があって子どもの健やかな成長にはどんな形であれ、その両方の愛情がバランスよく必要であるということです。

私はこの自分が受けた恩恵と学びを今度は別の誰かの為に活用したいと思い、この法人の代表理事 兼 校長を務めさせて頂くことを決めました。

⑥長男への誠意

~最期まで親でいること~

長男が成人し、私のもとを離れ現在は小学生の子どもを二人育児しております。

まだまだ母としても人間としても未熟者でありますが

年齢を重ね母親として長男で数多くの失敗をした分、次男と長女へは少し穏やかなか心で愛情を注げるようになりましたが長男への罪悪感と全てにおいて浅はかだった自分に対しての自己嫌悪がつきまとう日々は暫く続きました。

私にとって同じ子どもではありますが弟や妹のように接することが難しい年齢になりましたし長男に対して何をどう償えばいいのか?

悩んでも自分の力で腑に落ちる手段が見つけらず悩むのが苦しくて悩むことすら辞めた時期もあります。

そんな中、2022年2月に親団体であるSTAR SEED TOUHOKUの設立にお誘いを頂き役員としてここまで約2年間、思いだけで母子サポートの活動をやらせて頂くことになり、その活動の中で、悩みながらも子育てに懸命に励むお母様たちと触れ合うことで目が覚め、長男に対してできること、すべきことが漸く見つかりました。

親団体STAR SEED TOUHOKU《親五ヶ条》に《最期まで親でいること》という言葉があります。

この《最期》という深みのある言葉に「子どもが成人してもまだ私は親でいていいんだ!」という当たり前のことに気づかされ、ならば私は「命がある限り最期まで親としてやれることを全てやりきろう!!」とシンプルに考えられるようになれました。

私の長男へ対しての誠意

それは本人に対して今できることを全て行い、長男のインナーチャイルドを癒していくことだと考えております。

そう考えた時、今現在、昔の長男と同じような思いをしている子どもたちと真剣に向き合うことで言葉だけでは伝えきれない誠意を背中で伝えられると感じました。

インナーチャイルドってなに?

インナーチャイルドとは直訳すると「内なる子ども」です。子どものころの記憶や感情のことですが、主にネガティブな記憶や感情を意味し「傷づいた子どもの心」を指すと言われています。この傷ついた心を抱えたまま大人になると、仕事や人間関係に影響を及ぼすことがあります。

⑦そして今

~あらゆるお互いの為に~

私がこれからこの楽校でやっていきたいことはあらゆるお互いのインナーチャイルドを癒し一つでも多くの笑顔を増やしていくことです。

勿論事業として行う以上、創業と就任までの経緯はどうであれ、私情は後回しで利他を優先し代表作理事 兼 校長の任務を真っ当させて頂く所存です。

ここまで恥を承知で私が母として歩んできた道を御紹介させて頂きましたが沢山の失敗を経験し、沢山の苦難を乗り越えて今に至りますので、私には沢山の人に寄り添える心があります。

この度、当法人を創る一番のキッカケとなった長男も法人のMissionとVisionに賛同して頂き役員に就任してもらいました。

今現在の私と、私の家族を取り巻く沢山の有志者たちの情熱を

今度は私達の力で

必要とされる人や場所へ御提供できればと考えております。

校長 佐藤 美優希